ヴェネチアン・グラス二千年の旅展

The longing for 2,000 years ago:the origin of Venetian glass, Ancient Glass Exhibition
古代ガラスとその影響を受け発展を遂げたヴェネチアン・グラスを展示いたします。

2017年特別企画展 〜ヴェネチアン・グラス二千年の旅展〜

会期:2017年4月29日(祝土)から2017年11月26日(日)まで
今から約2千年前の古代ローマ帝国時代、ガラス製法は飛躍的な発展を迎えました。
鉄パイプの先に熔けたガラスを巻き付け、空気を吹き込んで制作する技法が発明されたことで、貴重品であったガラスをより多くの人々が手にすることができるようになりました。
高度に発展したガラス製法はローマ帝国の衰退後、水の都ヴェネチアのガラス職人たちの情熱と技術で復活を遂げます。
職人たちは古代ガラスの製法や形体の復元に留まることなく、創意工夫を施し、繊細華麗な作品に昇華させました。
本展では、長年の風化の影響で銀化し、虹色の輝きを放つようになった古代ガラスと、その影響を受け発展を遂げたヴェネチアン・グラスを展示し、今なお人々にロマンを与え続けているガラスの歩んだ時空を超えた旅を辿ります。

1章 ガラスの誕生と多様なガラス器の登場

ガラスの誕生は今から約4000年も遡ると言われ、その背景には銅の精錬技術が関係していたとも言われており、精錬に用いる窯の耐火粘土や石などに含まれる成分が高温で熔け出し、混ざり合ってガラスが生じたと伝えられています。
ガラスの誕生後、初期の頃には装身具として使われるガラス玉などを制作し、紀元前16世紀頃からはガラス容器も制作されるようになったと考えられています。初期のガラス器は、耐火粘土を被せた芯(コア)に、熔かしたガラスを巻き付けて器の形状を作り、徐冷後に中の粘土を掻き出して作る「コア・グラス」や、模様入りのガラス片同士を熔着する「モザイク・グラス」などが作られました。これらは、一部の特権階級しか所持することができない貴重品でした。
ガラス製法の一大転機が訪れたのは、紀元前1世紀頃の古代ローマ帝国領内のシリアにおいてであったと言われています。吹き竿の先にガラスの塊を巻き取って、息を吹き込み膨らませる宙吹き技法が発明されたことで、量産が可能になり、より多くの人々が多様なガラスを身近に使用することが出来るようになりました。しかし、その一方で、モザイク・グラスなどの装飾されたガラス器は、富裕層のステータスや東方世界との貿易のため、アレクサンドリアなどで作り続けられていました。技術の革新により、ガラスの価値は日常品と貴重品に二極化されていきます。
各地で発掘された古代ガラスをみると、自然の物質では表現できない多様な色彩と模様が表現されたモザイク・グラスや、ギリシャ陶器から影響を受けた器形のコア・グラスの香油瓶など様々な形の器が生み出されており、遥か昔から、人々がガラスという素材に魅力と新たな可能性を感じていたことが伝わってきます。

コア・グラス両手付香油瓶

紀元前2世紀〜紀元後1世紀頃|エジプト出土
箱根ガラスの森美術館収蔵

紫グラス坏

1世紀|東地中海沿岸域出土
個人蔵

モザイク・グラス坏

1世紀|現クロアチア共和国 ザラ墳墓出土
ムラーノ・ガラス美術館蔵

2章 古代ガラス技法の継承とヴェネチアン・グラスの黄金時代

栄華を誇った古代ローマ帝国も、4世紀末には東西に分裂し、5世紀末には西ローマ帝国が消滅します。その後、古代ローマのガラス製法は一部失われてしまいましたが、宙吹き、熔着装飾などのガラス製法は、東地中海地域、シリア・パレスティナ地方などで引き継がれ発展を遂げます。さらに東のササン朝ペルシャでは精巧な切子碗が生み出され、西はコンスタンティノポリスや、日本の正倉院にも伝来しています。
中東地域で継承されたガラス製法は、7世紀以後「イスラム・グラス」として開花していきます。イスラム・グラスは、ササン朝のカット装飾や、既にローマ帝国で用いられていたエナメル彩色の技法を用いた、独自のアラベスク文などを装飾したガラス器でした。
しかし、イスラム・グラスも1400年のティムールによるダマスカス略奪とシリア工房の消滅により存亡の危機に瀕します。既に1291年の法令により、ガラス職人をムラーノ島に強制移住させ、ガラス製法の流失を防ぐ保護政策を打ち出していたヴェネチアは、ガラス器を自国で生産する体制を整えていました。そして、このシリアの争乱から逃れてきたガラス職人を受け入れることで、ヴェネチアン・グラスはさらなる発展を迎えました。
ヴェネチアン・グラスは以後、アンジェロ・バロヴィエール(?~1460/61)などの名工を輩出し、16世紀には黄金時代を迎えます。職人たちは金彩とエナメル彩の施されたガラス器から、古代ローマ帝国を思わせるほど多様なガラス技法(繊細な「レース・グラス」、マーブル模様の曜変ガラス、巧な熔着装飾を施したガラス器など)を生み出し、ヨーロッパ中の王侯貴族を魅了しました。

レース・グラス蓋付ゴブレット

16世紀末~17世紀初|ヴェネチア
箱根ガラスの森美術館収蔵

ドラゴン・ステム・ゴブレット

17世紀|ベルギー(アントウェルペン)
箱根ガラスの森美術館収蔵

動物形オイルランプ

17世紀|ヴェネチア
ムラーノ・ガラス美術館蔵

マーブル・グラス・デカンター

16~17世紀|ヴェネチア
箱根ガラスの森美術館収蔵

マーブル・グラス・デカンター

(透過時)
 

3章 古代への憧れと、再現される古代ガラスの技法

16世紀に黄金時代を向かえ、世界中の人々を魅了したヴェネチアも、18世紀末から苦難の時代が到来しました。1797年のナポレオンのヴェネチア侵攻後の仏墺間の条約により、ヴェネチア共和国はオーストリア領となりました。前世紀から続くボヘミアやイギリスのガラス産業の台頭によるヴェネチアン・グラスの市場の減少に加え、輸出入に伴う関税などが重くのし掛かってきたのです。また、ムラーノ島では18世紀末から不況を打破できるほどの大きな技術的進歩もなく、全盛期の品質のガラスを生み出す能力がありませんでした。
ガラス職人の失業率が増えていく苦境の中、復活の兆しが見え始めたのは、古代のガラスに対する関心の強まりと、往時の技術の復活に取り組もうとする人々の登場でした。18世紀中頃から始まったポンペイ遺跡の発掘や、1870年代のトロイ遺跡の発掘による古代文明への注目はヴェネチアのガラス職人たちにも広がりました。
サルヴィアーティ工房では1878年のパリ万博でヴィンチェンツォ・モレッティが復元したモザイク・グラスや、銀化ガラスから着想を得た光彩ガラスが人気を博し、フランチェスコ・フェッロ親子工房では、ギリシャから出土した陶器の形と表面の風化から着想を得た「コリント・グラス」が制作されました。
以後、現在まで古代のガラスの形態や技法などからの着想を得て、さらに創意工夫を施したヴェネチアン・グラスが多数制作されています。それらは、古代ガラスを通して過去の職人と時代を超えて対面したヴェネチアの職人たちが、古代への憧れと挑戦の末に生み出してきた作品と言えるのではないでしょうか。

花装飾脚オパールセント・グラス・ゴブレット

1880年頃|ヴェネチア

ミルフィオリ・グラス・ランプ

1910年頃|ヴェネチア フラテッリ・トーゾ工房

蓋付大坏(重要文化美術品)

1865~1878年頃|ヴェネチア フラテッリ・トーゾ工房
ムラーノ・ガラス美術館蔵
主催 ヴェネチア市立美術館総局、アクイレイア国立考古学博物館、アドリア国立考古学博物館、アルティーノ国立考古学博物館、毎日新聞社、箱根ガラスの森美術館
後援 イタリア大使館、イタリア文化会館、箱根町
協力 ムラーノ・ガラス美術館、一般財団法人箱根町観光協会、小田急グループ、合資会社 寿屋

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