ヴェネチア、プラハ、パリ

三都ガラス物語

~歴史を駆け抜けた華麗なるガラスの世界~
Venice, Prague and Paris: Glass Stories in Three Cities
 

2023年度 特別企画展

-ヴェネチア、プラハ、パリ- 三都ガラス物語

会期:2023年7月15日(土)から2024年1月8日(月)まで

世界中の人々に愛されているヨーロッパのガラス。歴史に翻弄されながらも、美しく花開いた欧州各国のガラス芸術の輝きは、今もゆるぎない伝統と確かな技術に支えられ、「本物の美」を私たちに伝えています。
イタリア、ヴェネチア共和国の下、近代ガラスの礎を築いたヴェネチアン・グラス。チェコ、プラハをはじめ神聖ローマ皇帝庇護下で発展したボヘミアン・グラス。そしてガラス屈指の透明度を誇り、フランス、パリの華やかな社交界を彩ったバカラ・グラス。
本展覧会では、ヨーロッパのガラス工芸を代表する三都市‐ヴェネチア、プラハ、パリ-をクロスオーバーさせながら、華麗なるガラスの世界をご紹介します。

1章 水の都のヴェネチアン・グラス

変幻自在の“海のガラス”

ダイヤモンド・ポイント彫りレース文坏 16世紀 ヴェネチア 箱根ガラスの森美術館 所蔵

柔らかな曲線に繊細さや儚さを感じさせるヴェネチアン・グラス。ヴェネチアのガラスはソーダガラスと呼ばれ、石英を主成分とした珪砂、ガラスの熔融温度を下げるアルカリ性のソーダ灰、ガラスの耐久性を上げるカルシウム分を含んだ石灰を熔かし合わせることで生み出されます。
海上貿易で隆盛を極めたヴェネチア共和国はシリア沿岸域より珪砂、エジプトからは海辺の植物を焼成し精製したソーダ灰を輸入しており、ヴェネチアン・グラスは船で運ばれた材料から作られる、まさに “海のガラス”と呼べるものでした。さらに、ソーダガラスには、熱してから固まるまでの時間が緩やかという性質があり、これがヴェネチアン・グラスに特徴的なイルカや龍、花などの繊細な装飾を生み出す技術(ホットワーク)を可能にしたのです。
また、15世紀に活躍したヴェネチアのガラス職人アンジェロ・バロヴィエール(1400-1460)は、珪砂などのガラス材料をさらに精製し、不純物を取り除いた高純度の材料を用いて、天然水晶のように無色透明なガラス「クリスタッロ」を生み出しました。クリスタッロをはじめとする彼やヴェネチアのガラス職人たちが生み出した様々なガラス技術は、いち早くガラス市場を賑わせ、その後のヨーロッパ近代ガラス発展の基盤となりました。

点彩花文蓋付ゴブレット
1500年頃 ヴェネチア
箱根ガラスの森美術館 所蔵
花装飾脚オパールセント・グラス・ゴブレット
1880年頃 ヴェネチア サルヴィアーティ工房
箱根ガラスの森美術館 所蔵

2章 黄金の街とボヘミアン・グラス

“森のガラス”の細密彫刻

双頭の鷲文蓋付ゴブレット 18世紀前半 ボヘミア 町田市立博物館 所蔵

ガラスの表面に彫り込まれた細密な彫刻や、まるでダイヤモンドのように輝くカットが施されたボヘミアン・グラス。12~13世紀頃のボヘミア地方のガラスは、シレジアの山々から採掘される潤沢な珪石と、ジェノヴァから輸入するソーダ灰で制作されていました。しかしソーダ灰の輸送は、途中で略奪などに遭うなどして無事に届かない事が多く、16世紀に入ると、ボヘミアの森林地帯の木々を伐採し、その燃やした灰をソーダ灰の代わりに使用したガラスが作られます。これがカリを含んだ硬質のカリガラスの誕生でした。
神聖ローマ皇帝カール4世の治世から “黄金の街”と称えられていたプラハに、17世紀再び都を置き、芸術や科学を振興したハプスブルク家の神聖ローマ皇帝ルドルフ2世(在位1576-1612)の時代になると、カリガラスは精製技術の向上でより透明度の増したガラスとなります。水晶彫りの名工カスパー・レーマンがその宝石加工技術を応用してガラスに彫刻(コールドワーク)を施し、ガラスの魅力が存分に引き出すと、その輝きはプラハをはじめヨーロッパ中の宮廷を席巻。ヴェネチアにおいてさえ一時ボヘミア風のガラス制作が流行しました。
18世紀後半に入ると度重なる戦争でボヘミアン・グラスも苦境に立たされますが、金赤ガラスや、ウランガラスの登場、フリードリッヒ・エーゲルマン(1777-1864)によるイオン交換着色(ステイニング)という新たな色ガラス技法の発明により、再び復活を果たす事となりました。
ゴールドサンドウィッチ狩猟文蓋付ゴブレット
18世紀前半 ボヘミア
町田市立博物館 所蔵
鹿文蓋付大ゴブレット
19世紀前半 ボヘミア
町田市立博物館 所蔵

3章 芸術と恋の都のバカラ・グラス

社交界を彩るクリスタルガラスの煌めき

金彩竹文花器一対 1878年頃 ロレーヌ地方 井村美術館 所蔵

18世紀後半のフランスは、宮廷やサロンなどで使用される高級ガラスを外国からの輸入に頼っており、財政上の問題などによりフランス独自の高級ガラスの振興が急務でした。フランス北東部の豊かな森林地帯であったロレーヌ地方のバカラ村が燃料を大量に使用するガラス製造などに相応しい土地であると考えたメス市の司教がガラス工場の設立を提案。フランス国王ルイ15世(1710-1774)により1764年そのガラス製造の特許権が付与された事が、バカラの歴史の始まりとなりました。以後、バカラはナポレオン戦争や景気不況のため何度か倒産や買収を繰り返しながらも存続し、技術向上や販路拡大を図っていきます。
バカラでは1816年にイギリス式の鉛クリスタルガラスの制作を開始。これは鉛を含有する事で光の反射・屈折率を高めたガラスで、通常の鉛クリスタルガラスが鉛含有率24%のところ、バカラは含有率30%を誇る「フルレッドクリスタルガラス」を開発。以後、様々な色彩のクリスタルガラスと高度なガラス彫刻技法を用いた高級ガラスを生産し、19世紀後半のパリ万博で三度にも及ぶ金賞を獲得しました。また20世紀初頭には、ジョルジュ・シュバリエ(1894-1987)が時代に呼応するアール・デコの美しく洗練されたデザインのガラスを生み出し、新たなバカラ・グラスを確立。パリの社交界をはじめ、いまや世界中の宴席や食卓を彩る高級ガラスブランドの代名詞となっています。 
エンジェル文蓋付ゴブレット
1870-1910年頃 ロレーヌ地方
井村美術館 所蔵
アイリス文赤色花器
1900年頃 ロレーヌ地方
井村美術館 所蔵

パリのモードと香水

香りを視覚化する香水瓶

19世紀末から20世紀初頭にかけて、香水は大きな発展を遂げました。それまで調香師によって天然の香料から生み出されていた香水も、化学合成による新たな香りの登場や大量生産が実現し、誰もが手にすることの出来るものとなったのです。さらに、ファッションブランドの香水もこの時期に誕生します。コルセットから女性を解放するドレスを打ち出したオートクチュールメゾンのポール・ポワレが1911年にメゾン初の香水を販売、1921年にはシャネルが最も有名な香水「No.5」を販売し、香水とファッションは強く結びつけられるようになりました。
また、個々の香水のイメージを確立するための香水瓶のデザインにもこだわりや注目が集まり、19世紀末から20世紀初頭までの数年間で、バカラへのガラス製香水瓶の発注が約20倍以上にも急増しました。バカラが制作した手作りの貴重なガラス香水瓶が、さらにメゾンのブランド力を高めていったのです。

香水瓶「太陽王」1945年
スキャパレリ社
デザイン:サルバドール・ダリ
ガラス:バカラ社
高砂コレクションⓇ
香水瓶「ミス・ディオール」1948年
クリスチャン・ディオール社
ガラス:バカラ社
高砂コレクションⓇ

音声ガイド
お手持ちのスマートフォンから、QRコードを会場で読み込んで頂くと、展示作品の解説を聞くことが出来ます。(無料サービス)
独自アプリ等のインストールは不要です。普段使用されているブラウザでご利用いただけます。
※展示会場内ではイヤホンのご使用、またはスマートフォンのボリュームを下げてご利用ください。
 


主催 箱根ガラスの森美術館、毎日新聞社
後援 箱根町
協力 箱根DMO(一般財団法人 箱根町観光協会)、小田急グループ
特別協力 町田市立博物館、井村美術館、高砂香料工業株式会社
監修 由水常雄(美術史家)

※開催期間、出品作品等が変更される場合がございます。
パンフレットPDF


特別企画展図録

掲載作品数:71作品。カラー図版、用語解説。

発行
2023年
株式会社うかい 箱根ガラスの森美術館
監修
株式会社うかい 箱根ガラスの森美術館
編集
箱根ガラスの森美術館 学芸部
制作
山田デザイン事務所
印刷
クオリティ・コミュニケーションズ
項数
96項
サイズ
A5
価格
2,800円(税込)

Online tickets

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